「新庄節」というと、北海道日本ハムファイターズ・SHINJO選手のサービス精神溢れた発言を思い浮かべる方も多いですよね。
でも、元々の「新庄節」は、山形県の最上川沿いにある新庄市の「うた」。どんな所以があるのか、新庄市商工観光課にお問い合わせしたところ、Sさんからお答え頂きました。
さて、新庄節の起源には諸説あります。
①江戸時代の新庄藩主 戸沢政盛が領内開発の為に集めた作業員が、当時の流行歌の歌詞を替えた。
②最上川から離れた新庄まで荷物を運搬する「馬方」の歌が変化した。
などです。ただ歓楽街であった万場町で歌われ、現在の形に定着したのは間違いないようです。
ただ、歌として難しいということもあり、なかなか普及しませんでした。昨年まで20年間、市が大会を主催しておりました(今年からは地元民謡会が主催しております)が、参加者の半数以上が県外の方というように、名前ほど地元では普及していないのが現状です。
Sさん、有難うございました。
他の文献によりますと、元々は草刈りの際の馬子唄で、やがて、遊郭などでの「お座敷唄」になったという説もあるようです。「お座敷唄」といえば、まさにSHINJOさんにピッタリなのですが...
あの山高くて 新庄が見えぬ 新庄恋しや 山憎や
「お座敷唄」にしては、切ない歌詞だと思いませんか?メロディーもとっても哀愁を帯びています。
実は「新庄節」には、もう1つの背景があるのです。
昔、不作などが重なり、可愛い娘を手放さなければならない農家の方などが数多く出てきたそうです。そんな娘さんたちが故郷を離れる様子を歌ったのが、この「新庄節」ということです。
やがて歌詞は、このように続きます。
花が咲いたと 都のたより こちら雪だと 返す文(ふみ)
この「うた」は、私にとって忘れられない「うた」の1つです。
1997年3月に「のど自慢チャンピオン大会」(NHK)でグランド・チャンピオンを獲得した時に歌った「うた」なんです。そのときは、意味も背景も知らず、ただ力いっぱい歌っていました。
“民謡”と呼ばれる「うた」は、ただ歌詞やメロディーを追うだけではなく、その歴史を知って、長い間、歌い継いで来られた多くの方々の思いを感じながら、心を込めて歌わなければいけないと私は考えています。
琉球民謡の大家・大工哲弘さんが「民謡は『保存』するものではなく、『継承』するものだ」とおっしゃっていましたが、まさに同感です。
「大好きな故郷に帰りたいけど帰れない。親兄弟に会いたいけど会えない」
住み慣れた町を離れなければならなかった当時の女の子たちの張り裂けそうな思いを感じながら、これからも「新庄節」を歌っていきたいと思っています。
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